2014年3月9日日曜日

237:フクシマ3周年ベルリンの反原発抗議デモの写真報告。Foto- Bericht :Demo in Berlin am 3.Jahrestag von Fukushima

ベルリンフィルハーモニーから観た長さ1キロのデモ隊

Ein Foto-Bericht über Demonstoration 3. Jahrestag von Fukushima in Berlin
am 8.März 2014. BItte klicken Sie ein Bild dann kann man alle ca.140 Bilder als Panorama sehen.

 フクシマ3周年に際してベルリンでは日本とドイツの大小の多くの市民運動、NG0が呼びかけ、3月8日に脱原発デモが行われました。代表者たちはすでに前日、日本大使館に→安倍首相宛の公開書簡を届けています。

 3年目の抗議行動は、昨年の3月11日の零下5度の冷凍庫の中での日本大使館での農民たちのトラクターによる抗議行動(→こちら。これは今回の行動を理解する前史として重要なので是非ご覧ください)とは、打って変わった快晴の春到来、14度の気温のなかで昨年の5倍ほどの1000名の参加がありました。
さっそく地元公共放送のRBB/ベルリン・ブランデンブルク放送の→Abendschau→Akutuellでも、いずれも短いものですがきっちり放送されました。何しろベルリンは「デモの首都」と呼ばれており、昨年度のデモは4500ありました。
今日は、日本の多くのメディアも取材していましたので日本でも報道されると思います。

 今年は、かざぐるまデモが企画され、手づくりの風車を掲げて自然エネルギー社会への意思表示をしただけではなく、賛同団体も一挙に増大し、また多くの芸術家たちが参加して、本格的なパーフォーマンスや舞踏などが行われ、大変に多彩で印象深い抗議行動となりました。
これもフクシマ事故以降、石の上にも3年で、持続可能社会を築こうとする日独市民の意志が、ここベルリンでもしっかりと根付き、かつ成長しつつあることが示されたと言えましょう。
 
ただ、ひとつだけ今年は日本大使館で少しラジカルな抗議行動もあり数人が検挙され、家屋侵入罪の容疑で告発されました。一人の女性は抵抗したため後ろ手錠をかけられてパトカーに30分ほど留め置かれましたが釈放されました。 規模が大きくなるともめ事も起きますね。今回は警察官も日本大使館とデモ隊の間に入って大変であったようです。

 そのことも含めて、明日にでも簡単な解説も以下の写真に付けたいと思っていますので楽しみにしてください。
今は以下とりあえず、写真だけを140枚ほどお見せします。クリックすればパノラマで観ることができます。さらに追加情報も加えます。明日うらしまは歳とったのでゆっくりしかできませんのであしからず。

最初の時事通信の報道が出ました。→ 風車で反原発訴え=ベルリン

【ベルリン時事】東京電力福島第1原発の事故から3年になるのを前に、ドイツのベルリン中心部で8日、反原発デモが行われ、市民や在留邦人ら約1000人が再生可能エネルギーへの早期転換を求め、風車を手に行進した。
 風車は脱原発の願いを込めた市民の手作り。ブランデンブルク門前に集まった市民は、東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげた後、日本大使館に向けて出発。風車をかざしながら行進し、「福島から学ぶべきだ」と書かれた横断幕も掲げた。(2014/03/09-07:38

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                             以上は8日です。
 さて、一夜明けて9日の追加です。
日本のメディアでは、共同通信とNHKが立派な報道をしました。
共同通信の方は、→産經新聞が一番長いのでありがたく引用させていただきます。

   独でかざぐるまデモ」 千人が原発反対訴える

 


東京電力福島第1原発事故から3年たつのを前にドイツの首都ベルリンで8日、風車を掲げながら原発反対を訴えるデモが行われた。風力発電をはじめとする再生可能エネルギーの象徴として風車を選んだ。主催者発表によると、約千人が参加した。
 参加者は「フクシマのような事故はどこでも起きる」とシュプレヒコールを上げ、ブランデンブルク門から日本大使館までの約2キロを練り歩いた。ドイツで暮らす日本人も参加した。
  子供が3人いるというドイツ人女性(50)は「安全な原発など世界に一つもない。日本政府は原発の再稼働をやめるべきだ」と話した。内部被ばく問題に取り 組む岐阜環境医学研究所の松井英介所長(76)も参加し「安倍政権は原発を海外に売ろうとしている。やめさせなければならない」と訴えた。
 ドイツは福島の事故を受け、2022年末までの脱原発を決めている。(共同)

NHK の今朝の報道は動画もとても優れていますので今のうちにご覧ください。3日ほどで消えますので。

     →ドイツで日本原発廃止訴えデモ

東京電力福島第一原子力発電所の事故から3年になるのを前に、政府が脱原発の方針を決めているドイツでは、およそ1000人がデモ行進を行い、日本政府に対して、すべての原発を廃止するよう訴えました。
ドイツの首都ベルリンでは8日、原発に反対する市民グループの呼びかけで脱原発を訴えるデモが行われ、地元の市民やドイツに住む日本人など、およそ1000人が参加しました。
加者は、再生可能エネルギーへの転換を意味する風車を手にしながら、「原発を止めろ」、「再稼働反対」などと声を上げ、市内をおよそ2時間にわたって行進 しました。そして、日本大使館の前で集会を開き、日本政府に対して、すべての原発の廃止や原子力技術の海外への輸出を止めるよう訴えました。
福島第一原発の事故を受けて、ドイツ政府は2022年までに国内のすべての原発を廃止する方針で、ヨーロッパではスイスやイタリアなども脱原発を打ち出しました。
一方で、イギリスやフランス、さらに東ヨーロッパの多くの国では原子力がエネルギー政策の中核の一つに位置づけられるなど、福島の事故のあとも原発推進を堅持している国は少なくありません。
デモに参加したドイツ人男性は「世界規模で原発からの撤退が進むことを希望しています。特に日本に対してはそれを強く願っています」と話していました。

 
 *参加した日本人の報告があります。→ベルリンから未来へ向けた「かざぐるまデモ」

*さらに以下の、写真に見られる:
Mad World Dance Crew - Nuclear Olympics Parodyの→パーフォーマンスのビデオ(17分)を是非ご覧ください。オリンピック招聘が世界からどのように見られているかがよくわかります。
これは、傑作です。
ブランデンブルグ門を背景した舞台でのこのパロディーは、日本の姿を実に生き生きと描写しています。この日の雰囲気が手に取るように判ります。百聞は一見にしかず。

* おなじく写真にある松井英介医師の演説の後半の様子は→こちらで。
 *同じく写真にある替歌「もしもし原発」のYou Tubeは→こちらでお聴き下さい。これも傑作。


では、以下のわたしの写真に簡単な解説をつけます。

ブランデンブルグ門前広場は13時の集合時間にはすでに溢れんばかりの参加者。
特大の手作りの風車もあります。
昨年の大使館デモでゲッチンゲンからやってきた筋金入りの反核農民パーペさんに再会。「今年は50人ほどで来たよ」
どうやらこの子供用の救急ベットに核のゴミを寝かして持ってきたのも彼ららしい。懐かしい日本のモンチッチまで一緒とは手が込んでいますね。
子ども部隊がNHKの取材にさっそく応じています。
これは、中・底レベル放射線廃棄物最終処理施設コンラッドの反核団体の出店です。
今年は、本格的な街宣車も登場しました。
街宣車の後ろではパーフォーマンスの予行演習をやっています。
手作りのプラカードを持ってきた子どもたち。防御服を着ています。
防御服を着た大人たちもいます
いよいよ日本人による開会宣言で始まりました。まずは3・11の犠牲者に対して黙祷。
ドイツ側からは主催者のひとつ、アンチアトム・ベルリンの代表者の長い挨拶が始まりました。

みんな熱心に聴いています。
この日の反核ワンちゃんの主も、日差しがきつく上着を脱いでいます。今年初めての春日です。
正面奥はアメリカ大使館。盗聴しなくても聴こえますね。
それにしても、手作りだけあって風車も様々です。快晴の空に映えています。



ある参加者の表情です。
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ/原子力は死をもたらす!
いよいよ、国際部隊のMad World Danceによるパーフォーマンスが始まりました。これも日独英語が混じりあいます。
フクシマの子どもと原発マフィアが対決する場面から始まります。 以下の解説は筆者の解釈です。芸術家が意図する主張とはズレがあるやと思いますので、そのつもりで読んでください。
原発マフィアが子どもの思いをたちまち踏みにじり・・・
子どもの叫びを強引に封じて・・・
オリンピックを招致します。選手団入場。
オリンピックマスゲームです。


観客のピエロたちも熱心に観劇しています。

原発マフィアは各国の選手にインタヴュー。

日本選手には「どうしてマスクなどしているの?」「だって、マスクしていれば安全だと政府が言うから」
子どもたちの表情。芸術は最高の教育です。




ついにオリンピックはガスマスクで挙行することになったようです。

苦しそうです。
原発マフィアは背負ってでもなんとか日本選手を助けようとします。しかし・・・

助かりません。日本選手が死んでしまいました。
狼狽は大きく・・・
恐怖に震えながら・・・
選手たちはみんな死んでしまいます。
それでも原発マフィアは死体まで喰らおうとします。

最後にフクシマの子どもが登場して、「僕たちの願いは・・・」でファイナーレ。
1000人の大きな拍手が響き渡りました。

以上が第一部で、いよいよデモの開始です。


今回はグリーンピースのドラム隊が先頭に立ったのでそれはもう元気が百倍です。
松葉杖をついたお年寄りもかざぐるまを持って。
泣く赤ん坊のプラカード「わたしの未来を考えているのは誰?」


30年近く前からの古い友人たちの姿を見つけました。
最も若い新しい友人たち。わたしの孫の世代です。

NHKの報道にも出てきますが、シュプレヒコールも「Gennpatu Hanntai,
Saikadoo Hanntai, Kodomowo Mamore」とアルファベットの紙を観ながら日本語で。
ドイツの子どもたちはすぐに覚えてしまいました。




ポツダム広場へ到着です。



ここでは、共同通信が報道したように、松井英介医師がフクシマの現状を報告し、梶川ゆうさんによる最高の通訳です。学術用語の通訳が正確にできる人はめったにいません。




松井医師は安倍政権の原発輸出政策も厳しく批判して大きな喝采を受けていました。

反核医師の会のベテランの医師たちも大勢参加していました。
ベルリンなので高名な音楽家が多いですね。
この少女の手作りのプラカードには「ふたつのことはずっと明らかであった。1。原発は安全だ。2。地球は平たい。」強烈な皮肉です。
グリーンピースのこれからの活動の予告もありました。
さて、デモはポツダム広場での中間集会を終えて再び日本大使館へ向けて出発です。



背後がポツダム広場の高層ビル。ラジオではベルリンの中心部がデモのため交通止めとなっていることが20分おきに流されています。
以下の写真はフィルハーモニーのバルコニーから撮ったものです。デモの規模がわかります。背後は国立図書館の巨大な書庫。




いよいよ日本大使館のある通りへ入ります。
いつもそうなのですが、このあたりから子どもたちが先頭に立ちます。面白いですね。
日独のお年寄りたちが仲良くベンチで休憩です。
大使館近くでは、ちゃんとソーセージのグリルの出店も待っていました。日本ならかけそばの屋台か。
デモ隊の着く前に警察の先回りをして、若者ふたりが大使館のあるヒロシマ通りの街灯マストによじ登っていました。
                                        日の丸にNO NUKES! NO WHERE!





大使館正門では、先回りしたデモ隊と警察でひと悶着があり、数人が検挙されました。これについてはいずれ成り行き次第で別項で述べます。
大使公邸に到着したデモ隊。
大使公邸正門にはパトカーが駐車して監視。昨年より警備は厳しい。



大使館正面の道路はデモ隊で一杯となり、最後の集会の始まりです。
主催者のひとつ「ドイツ自然友の会」の代表がフクシマの川内村の要請で風力発電プロジェクトを推進していることを報告。背景の大使公邸の前の樹は戦前からある大きな桜の樹です。
日本のテレビの現場取材。
女性一人が警察官に暴力を振るった現行犯で検挙されたので、抗議するひとたち。
彼女は後ろ手錠をはめられパトカーに勾留されたので、理由を説明する警察官は実に誠実でした。

心配する子どもたちの耳もありますからね。民主警察は大変です。どうやら日本大使館との間に入って苦慮している様子です。

そんななかで、うまいこと昨年から登場した日本人女性たちによる「もしもし原発」の
合唱があり気分転換となりました。何しろデモ隊にはプロの高名な音楽家もかなりいますから「もしもしカメよ」の替え歌とはいえ本格的な歌唱力です。

これには、ドイツ語バージョンもあります。
ここで、前日大使館へ正式に提出した安倍首相への公開書簡が紹介されました。
ベビーカーで参加した小さな子どもたちも、ワンちゃんも早い春の日差しで休憩。


大使館は広大なティアーガルテンという公園に面しています。その一角に植えられているのが・・


 この標識のついた若い桜の樹です。「日本の原子力エネルギーと闘う無名の闘士たちへ」とあります。
若い樹の根元には折り鶴が置かれています。
そこにトランペットの音が響き渡り・・・
美空ひばりの「りんご追分」の音にさそわれるようにして、桜の樹のそばの大地のしとねから現れたのは・・・











素晴らしいダンスでした。ベルリンの日本人芸術家には奥の深い人が本当に多いことが示されました。
息をのんで見守ったデモ参加は桜の樹のまわりに風車を立てるセレモニーを始めました。





それが行われている間に、年配の男性が「ヒロシマよ赦したまえ、ナガサキよ赦したまえ、フクシマよ赦したまえ」と英語で即興の鎮魂歌を詠いました。このようなときには深い罪の意識を表現する文化が顕われます。


非常に厳かな雰囲気でフクシマ3周年のデモは終わりました。
そこで、この樹を昨年植えた農民のパーペさんが、昨年のデモからの由来を説明しました。標識をあのようにしたのは、「全く知られていない犠牲者を思ってのことである」。
 彼もこの日検挙されたためかもしれませんが、続いて「ひとつだけ言っておきたいことがある。ドイツには500年前からの農民戦争の伝統がある。それ以来勝取った自由だけは決して手放してはならない」と述べたのです。
なるほど、彼らの反核運動にはマルティン・ルターやトーマス・ミュンツァー以来の意志が生きているのです。その顕われがこの若い桜の樹であり、日本人ダンサーにも乗り移ったのでしょう。

終わりにこの日の行動に参加した日本人たちの記念写真をいくつか。
ライプチィッヒ大学から今年もやってきた日本学科の学生たち。
ついに日本人脱原発運動としてドイツの新聞にも採り上げられたSAYONARA NUKESのロゴを担当する、在ベルリン10年の画家の河口忠さん。芸名はChuu.

日本から駆けつけた松井医師ご夫妻と長いベルリンの友人たち。

                     皆さま大変ご苦労様でした。

友人の写真家による取材中の明日うらしまのスナップ。はちまきは「核施設即時廃止」
Berlin 8.März 2014.Photo:Tsukasa Yajima



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